小説下書き

後悔ばかりしている。
 人間とアンドロイド間で恋愛すべきではなかった。
 朝が来る 昼が来る 夜が来る。
 毎日その繰り返し。
 足りないのは愛していた人。
___
 名をローランドと言った。
 「HANOI」とこの社会で呼ばれる軍事用につくられたアンドロイドは気が滅入っていた。
 愛し合っていた人がつい最近亡くなったのだ。愛していたのは世間の風潮をまるで変えた偉大なる功労者だ。人間とハノイが助け合い、互いに寄り添う世界。
 それは今では当たり前のことであるが、つい何十年か前ではハノイは虐げられる対象であった。
 人間に限りなく模した容姿に機械音ではない聞き取りやすい声、そして対象に対して伴う感情。違うのは「作られた」存在であり機械であること。それだけだ。しかし、おそらくそこが区別……いや差別される最たる要素であろう。血を受け継いで子孫を残してきた人間はれっきとした「生き物」であり、役割のためだけに世に出たハノイは結局「機械」とだけ見なされる。されど、なのだ。人間とアンドロイドは近いようで遠い。
 半ば奴隷であるかのように自分の役割に徹していたハノイ達はかつて「TOWER」と呼ばれるストレス発散のための建物で敵を殺し強い感情を軽減させていた。監察官と呼ばれる「人間」がハノイ達の行動の指揮を取り、導く。監察官とハノイ達の関係性はそれぞれのチームごとに違い、いい関係性を保つものもいれば、人間もしくはハノイのどちらか側……もしくは両者お互いに不振を持つ場合がある。むしろいい関係性を保つチームなどかなりの少数派であったと軍事用の彼はのちに気づく。
 かつて監察官として慕っていたコーラルという人物はもはや慈愛に満ち溢れているかのように優しく、一緒に過ごす10人ものハノイに真摯に向き合った。
 人間とハノイが同等に生きる世界を作った功労者とはこのコーラルである。0と1で作られた人間ならざるものに対しても尊重し、この世界を変えてみせると言った。事実、彼は0と1の存在との攻防戦の末の和解をした後に動いた。全てが平等である世界を。世を動かそうと努めた10年後には人間とハノイが結婚できるほどには対等になったのである。
 ローランドが今ひどく気が滅入っているのはその『愛する』という感情を持ってしまったこと故である。そしてそれに伴う『喪失感』。
 彼はかつて自分の監察官であったコーラルと恋人であった。
 コーラルがつい先日亡くなった。50歳という年齢は命を落とすには早すぎた。
 どうして、どうして、どうして。
 かつての仲間たちはコーラルの葬儀に参加したがローランドはその場へは赴かなかった。
 声を得たクレヨンが泣きながら電話をし問い詰める。
 「どうしてローランドは出席しなかったの?最期、だったんだよ」
 ローランドは、彼は、彼だけ、コーラルの葬儀に参加しなかったのである。
__
 コーラルとローランドは恋人であった。
 同居はしておらず、遠距離恋愛だ。それは就いている職業が異なっており、またそれぞれの勤務地は遠いからだ。
 コーラルはHANOI保護センターの施設長をしている。ハノイの保護はもちろん、人間とハノイの共存を提唱し歴史を作っていくような代表者でる。
 一方、ローランドはハノイのことを取り扱う博物館に勤務するという裏で支える者だ。
 コーラルの補佐にはメリーティカ、ナナシ、クレヨンがいた。彼らはかつて一緒に過ごしてきた信頼できる仲間だ。ローランドは彼らを信じながら自分の職務を全うする。
 コーラルは忙しく仕事場から離れることはあまりなかった。それでも週に2度ぐらいは通話をしお互いの声を聞き「愛している」という言葉を確かめ合った。
 2ヶ月に何日かほどはデートをした。美味しいものを食べに行ったりプラネタリウムで星を見るなど少しロマンティックなことをしてみたり、幾度かは翌朝まで十分に愛し合った。コーラルに体を包まれる感覚にローランドは少し泣けてきてしまうほどには多幸感を感じた。何度経験しても全てが大切な出来事だった。
 幸せな時間を過ごしたあとのしばしの別れ。
 ローランドの住むマンションの前で少しばかり立ち話をする。
 革製の年季の入ったくたくたの茶色のスーツケースをコーラルは手に取りながら幾分か背が高いローランドを見上げた。
 次はいつ会える?というローランドの会話から始まる。
「そうだねえ、次の長期休暇かな?」
「長期休暇までって……どのぐらいなんだ?」
「そうだね、だいたい1ヶ月後かな。結構もうすぐでしょ?最近は猛暑続きだから歳を取ってきた僕のためにみんな気を遣ってくれているのかな」
 あはは、と少しばかり自虐をする。それをローランドは気にも留めず言葉を続ける。
「それじゃあ、次はお前のところに遊びに行こうかな。あの3人の顔も見たいところだし」
 あの3人とは先ほど述べたコーラルの補佐だ。その中でも一番しっかりしているナナシは少し抜けたコーラルを特にサポートする秘書をしている。
「そうだね、みんなで出かけようか。都合がよかったら他の子達も参加できるかもしれないね」
「久々に皆でパーティーとやらをしてもいいかもしれないな」
「あ、それいいなあ!みんなでご馳走作ってお腹いっぱいに食べた後は夜遅くまでテレビ見たりダーツをしたり……」
「デザートはジョルジュ特製のものだな!」
「いいなあ、久々に食べたいなあ。どんなスイーツを作ってくれるんだろう?楽しみ!それとミラのホットケーキもーー」
「食べることに執着しすぎだ!」
「ううん……そうだね、カロリー制限しなきゃね……」
「アダムスと鬼門はさぞかしうるさいんだろうな……。シンディあたりが止めてくれるといいが……」
「でもシンディとキャシーはファッションやメイクが大好きだからそっちで盛り上がっちゃったりして」
 アダムスとノロイが夜通し全力で枕投げをする中ミラがそれをまた全力で注意し、それを横目にマニキュアを塗るシンディとキャメロンを思い浮かべる。
「まったく!秩序のない!」
「あはは。でも賑やかなのはやっぱり嬉しいよ 
クレヨンとメリーティカはもちろん、ナナシも楽しみにしてくれるよ」
「長期休暇が待ち遠しいな!ただーー」
 ローランドはコーラルの頬に優しくキスをする。
「うん、また二人だけの時間も作ろう」
 コーラルはローランド伝えたいことを先に言いこくり、と頷いた。
「そうだ、みんなとお別れした後に少しだけデートをしよう。どうかな?」
「いいぞ。
……なんならそう言われるとそちらの方を待ち遠しく感じてしまうが……」
「どっちも楽しみにしていようよ。でもパーティーもデートもあるなんて、なんだかそれって欲張りコースだね。」
 ふふっと微笑んだ後にまた言葉を紡ぐ。
「その時にね、渡したいものがあるんだ……とっておきのもの」
「今渡すじゃいけないのか!?」
「ダメだなあ」
「ええい、焦らすな!」
 ローランドはコーラルの黒いパンツのポケットに手を突っ込みガサガサと手探りをする。
「待って待って!今はまだ用意していないんだ。オーダーメイドで頼んだからまだもう少しだけ時間がかかるんだ。当日に渡すよ」
「……そうか、なら仕方ないな。何かはわからんが、とにかく楽しみにしてる」
「うん、期待しておいて」
 今度はコーラルがローランドの頬にキスをする。
 身長差を埋めるためのつま先立ち。
「それじゃあ、明日からまた仕事だからそろそろ行くね またね!」
「またな!」
 二人はお互いの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
 仲間達とのパーティーにその後の二人きりのデート、そこで渡されるだろうプレゼント。
 どんなに素晴らしい長期休暇になるのだろう。ローランドは心を躍らせた。
 その休暇を最高のものにするのならいっそう仕事と私生活を充実させなければ。皆と、そして恋人と過ごす日々は待ち遠しいが、彼らと会うためならなんでも頑張れる気がした。
 職は違えどコーラルと同じように人に役に立つ仕事はなんてやりがいがあることか。0と1の世界を過ごした頃を思い出しながら、これまでの歴史を分かりやすく説明をする。そして今の前向きな発展を後世へも繋ぐよう伝えた。
 ローランドは勤務し始めた頃は主に館内の警備をしていたが、コーラルの功績を聞く度にもっと自分にできることはないだろうかと模索した。その模索の結果見つけた仕事が博物館での案内係であった。
 身を持ってその歴史の変遷を体験した彼の説明は多くの者の心を動かした。
 家に帰ると料理の練習をし少しでも役に立てたらとレシピ本と睨めっこをした。肉をちょうどいい加減で焼くぐらいなら出来るだろうか。
 パーティーに肉は必須だからな、とローランドはうんうん、と一人で頷く。あとの凝った料理は他の者にでも任せよう。彼は休日もひたすら火加減を確かめながら『完璧な』肉料理を大量生産していた。
 ふと、デートもあることを思い出す。どこへ行くのだろうか?プランはまるまるコーラルに任せている。サプライズとやららしい。それはどのようなものであるのだろうか?とローランドは期待に胸を膨らませた。きっと自分がサプライズなんかをするよりコーラルは凝っているものを用意しているに違いない。でも新規開拓しただけのいつも通りのパンケーキ屋もあり得るな。
 彼のことを考えると多幸感でいっぱいになる。
 きっと人を心から好きと思えるのはこれが最初で最後ではないのだろうと、その気持ちで体と心を巡らせ彼は胸を熱くした。
 しかし、その共に過ごしてきた幸福な時間は最悪の、予想していなかった形でガラガラと崩れ落ちた。
 皆に振る舞う予定の料理に使用する食器を洗っている最中であった。携帯のバイブ音が響く。急いで手を洗い濡れた手をタオルで拭く。電話を取る。
「もしもし。……ああ、ナナシか。どうした?」
次の休暇の際に関する件だろうか、とローランドはぼんやりと考えた。
「ローランド、今から言うことは事実であり冗談なんかじゃない。落ち着いて聞いてくれ」
「なんだ、その重々しい口調は」
 ナナシのそのシリアスな言いぶりにさすがに体がひんやりとするのを感じる。
「コーラル・ブラウンが亡くなった」
___
 「は?」
 予想もしていなかったその言葉はローランドの頭にはまだ到底入ってこなかった。何を言っているのだろうか。
 しかし、 ナナシは不必要な冗談は言わない。それは共に過ごしてきたからこそ分かっていることである。
「待て、どういうことだ?……一から説明してくれ」
 ぐらり、と意識が遠のくかのような感覚がした。恋人の死をすぐに受け入れられるほど正気になどなれない。
「それが……急死なんだ。原因はわからない」
「そんな……そんなことがあってたまるか!だってつい一昨日に電話をしたばかりだ!コーラルと!変わらずあいつは穏やかに俺と……!」
「俺たちだってそうだ。つい先ほどまではあの人は元気だったよ」
 2人は同時に早口になる。彼の死をかき消すかのように。
 そして一度ため息をついてからナナシは幾分か冷静を保って、いやそうするようになるべく努めた。口を開く。
「ローランド、お前葬儀に来るだろ?」
 葬儀。
 何かが、ローランドの中でぷつりと切れた。
 
「行かん!」
 咄嗟に言葉が出る。これ以上聞いていられない。「葬儀」などというもはや覆すことができない『現実』を受け入れたくなかった。
「お前……正気か?
だってコーラルとアンタは恋人でしたよね!?
あの人、いつもニコニコしてアンタとの惚気話とかするんですよねえ!?」
「知らん……知らん!!」
「いい加減にしろ!!!!」
 ナナシの声が部屋中に響き渡る。
「あーあこんな無責任な彼氏なんてコーラルも可哀想に。
……そうですね、来なくていいですよ。はい、さようなら。」
「ナナシ、あなた!!」
電話がガチャリと切られる前にメリーティカの声が聞こえたが既に遅い。ツーツー……と電話の切れた音だけ響き、のちに自室は静寂に包まれる。
 
 嘘、だろ。
 膝から崩れ落ち頭を抱える。
 しかし涙は不思議と出ない。
 涙が出ない自分に吐き気がする。
 
 何故彼の最期を見届けられなかったんだ!?一緒の空間で過ごしている3人は看取っていたんだろう!?何故、今、そうなっている!?混乱で頭がうまく回らない。
 一瞬、自分の就いた職業を恨んだ。俺もコーラルと同じ場所で働いていれば……!せめてその手を握ってあげられたんだ……。
 そもそも少し無理をしてでも近い場所に住んでいたらよかったんだ。勤務地まで遠くとも早朝に出発すればギリギリ……いや、でもそうしたら頭が働かず仕事に集中できない。それでは本末転倒だ。コーラルの作った輝かしい未来のひとつを担う仕事を犠牲にしてまで私欲をとる?しかし恋人の手を握りながら祈ることさえ出来なかったのだ。
 なにもかもが、どうすれば正解だったのかが分からなくなる。そして後悔は止まらない。それは随分遡ってあのタワーでの件のあとに彼と愛を誓ったこと自体さえ。
 分かっていただろう?人間とハノイの寿命が違うことぐらい。それを薄々とでも感じていたんだ。ただ気づかないふりをしていた。
 俺は型番1のハノイ。人間が死ぬところなど飽きるほど見ている。そのぐらい長く生きらえている。そしてこれからも半永久にここで生き続けるのだろう。いっそ地球が滅亡するまでか?などと考えると不思議と笑えてきてしまった。
 朝が来る 昼が来る 夜が来る。
 変わらない。
 コーラルが死んでも日々は過ぎていく。
 つい最近までは博物館に来る子供達やカップル、親子にハノイの歴史を大きすぎる声で溌剌と説明しこれからの未来への希望を語っていた。コーラル達が目指すよりよい世の中を祈るかのように仕事に従事していた。彼に対して尊敬と恋慕を入り混じりながら。
 今は仕事の事を考える余裕など到底ない。仕事場へはすっかり足を遠のいていた。以前の彼からは考えられないほど意気消沈した。家から出ることはもはや困難で部屋は乱雑とし、足の踏み場もない。
 買い貯めていたカップラーメンやレトルト食品で空腹を凌ぐ。そうして最低限の食事を済ませまどろむ。その繰り返しだ。ずっと意識を失えていたらどんなに楽なのだろう。そもそも食事をとるという行為をする時点で死へ向かっていないことに気づき自嘲する。軍事用として仕事を全うしていた頃に生への執着はとっくに捨てたと思っていたのに。仲間たちと築き上げた信頼関係が、愛する人との思い出が死から遠ざけた。
 あの人の遺骨はどんなものだったのだろう。やはり白かったのだろうか、と当たり前のことをぼんやりと考えた。
✳︎
 今朝は天気が悪く雨がひっきりなしと降っている。ざあざあと全てをかき消すかのような音はいつものような眩しい朝日よりも今のローランドにとっては幾分か気が楽であった。いつも通りカップラーメンを啜りながらぼんやりと考える。そういえば最後に会った時にコーラルが置いていった荷物があったなと思い出す。
 整理をしなくては。次に泊まりに来ると約束して行った時にいくつか物を置いて行った。歯ブラシにコーラル用の食器、忘れてしまった時のための予備の眼鏡など。別の場所に住んでいるのにまるで同居していたかのようだ。
「あ、こんなところに」
 手に取ったのは自分のものではないが随分と見覚えのある寝巻きだ。コーラルのか。高齢になってから骨張った彼の寝巻きは柔らかく優しく包み込む、綿の素材だ。無地の、色はミントグリーン。
 これは今から10年ほど前。小さなショッピングセンターの寝具コーナーへコーラルとローランドとで二人で赴いていた。着ていたパジャマがだいぶほつれボタンもいくつか取れたため、パジャマを新調しようと思った次第だ。
 ふとひとつ、コーラルの目に入った。
 セール中!と書かれたやけに目立つポップがついたワゴンの中に様々なパジャマが乱雑と詰め込まれている。
「あ、これいいなあ。色がとても可愛い」
 コーラルはその中の一つを手に取る。
「こんな安いものでいいのか?お前は十分稼いでいるだろう!?くたくたになったものを買わなくとも……」
「でもこれが入ってすぐに目に止まったんだ。なんだか『買ってくれ〜』って言ってるみたいで……」
「そんな怪奇現象はない!」
「いやいや、ものの例えだよ……。ローランドは全然変わらないね。」
 むすっとしたローランドとは対照的にコーラルは柔らかく笑う。
「それで、その一目惚れとやらをしたパジャマはどんなものなんだ?」
「これだよ!」
 ジャーン!という効果音が付いたかのように元気にコーラルはパジャマを広げた。
「見て、この爽やかなミントグリーン!」
「ああ、いい色だな」
「ローランドの髪みたいで目から離せなくなっちゃったんだ」
「!?……な、何を言って…………!」
 流石のローランドも顔を真っ赤にする。
「これを着て寝たらローランドに包まれているような気分になるかなあ」
「あまり恥ずかしい事を言うな!それにそんな寝巻きなんかより俺自身の方がよっぽどお前を優しく抱きしめられるぞ!」
「えっと、そういうのはあまり大きな声で言わないでくれると嬉しいな」
 ローランドの大声で他の利用者が彼らの方を向きクスクスと笑う。
「その……すまなかった」
「ううん、大丈夫だよ」
「でも……そう言われるのはなんだか嬉しいな。そうか、そんなことを思ってくれていたのか……」
 コーラルが手に持つミントグリーンのものを見つめていくうちに、なんだかそれがとても愛おしいものに見えた。
「じゃあ俺はこれにしようかな」
 ワゴンに乱暴に手を突っ込む。取り出すとコーラルのものとはまた違う色のパジャマであった。
「ブラウン色!」
 ローランドの快活な声にコーラルは呆気に取られたが、少ししてクスクスと笑う。心がじんわりと温かくなるのを感じた。
「うん、いいね。
そっかあ、ブラウン色かあ。嬉しいなあ。」
「そうだろう!?」
「僕の髪色だけじゃなく、僕の名前とも一緒だもんねえ、照れちゃうな」
「……はっ!言われてみれば!
……なんだか恥ずかしい。やはり一枚上手ですね、司令官殿は……」
「あはは、『司令官殿」だなんて懐かしい響きだなあ。そうか、僕たちはあの頃から一緒なんだね」
「そうですね、なんとも感慨深い……」
 ローランドは過去の在りし日を思い出しながらふとふたつのパジャマを見比べると色以外は全く同じであることに気づく。
「なあ、この寝巻き俺のとお前のとで全く同じものじゃないか?」
どれどれ、とコーラルがパジャマのタグを見る。
「これ、同じブランドだね。お揃いだ」
 お揃い、というまさかの追加の要素に心臓がバクバクする。それぞれが相手の髪色と同じものを手にし、それに付け加えて自分のものは恋人の名前すら体現しているのだ。こんなのまるで、
「これでは俺の方が貴方に包まれているかのようじゃないですか……」
直近の情事を思い出し胸がぎゅうっと締め付けられる。
「本当、たまに君は数十年前の口調に戻るねえ」
 余裕を持たせた話し方をしたが、コーラルもまたローランドと同じく愛し合った時のことを思い出していた。甘い沈黙がしばらく続いたが、同じくセールコーナーを見にきた親子の声が後ろから聞こえ二人はその場を離れる。
「2点で2500円プラス税ですね、ありがとうございましたー!」
会計を済ませ、ふたつのパジャマが入ったレジ袋を手に持つ。こつん、と少しばかり皺の入った手が当たった。ローランドを見つめるコーラルの顔が瞳の中に入ったことに気づき、そのまま優しく手を握った。
 
 流れるようにやりとりのひとつひとつが思い出される。
 気づいた時には自分の髪と同じ色のパジャマをぎゅっと抱きしめていた。会いたい。それをただただ脳内で繰り返した。会いたい。コーラルの匂いがする。
 長くスーツ姿から着替えていなかったが、その頃のことを思い出しブラウンのものを引っ張り出した。久々に纏うパジャマは肌触りが良く安心できた。その姿になり再度、しかし先ほどより優しく抱きしめてみせた。2人で過ごした日々が蘇る。真っ暗な世界に光が差し込んだかのようだった。
 ローランドはコーラルが家に置いていった持ち物を手当たり次第に探し始める。まるで宝物をかき集めるかのように。
 コーラルが買ってきてくれたお揃いの歯ブラシ。いっしょの洗面台で黙々と歯を磨いた。
 コーラルのためにローランドが用意した食器。彼のために不器用ながらも料理をしそれを振る舞った。たまに焦げが目立っていたが、コーラルはいつも美味しいと食べる。また逆にローランドのものより幾分かましなものを彼が作ったりなどもした。
 予備の眼鏡。これはコーラルが何度も家に忘れてきてしまうため新規で作ったものだ。これなら出かける時も一緒にテレビを見る時も眼鏡の心配せずに済む。
 乱雑に散らかった部屋で品々を探す中、何かにぶつかり躓く。足を強打、のち転倒。軍事用として硬く作られたとは言え、一連の流れが唐突すぎてローランドはしばらく呆然とした。
 躓いた元を見るとそれはひとつの冊子であった。少しくすんだ赤の重厚な……アルバム。捲ると数多い写真が綺麗に収まっていた。
 ローランドを筆頭としてハノイの皆の笑顔が並んでいる。
 HANOI保護センターで補佐のメリーティカ、クレヨン、ナナシが写っている。メリーティカとクレヨンは笑顔だが、ナナシはいつものように無愛想な顔をしている。そして次の写真にはコーラルもその中に入りみんなの肩を抱いている。先ほどとは打って変わってナナシは口角が上がっている。満更でもないようだ。
 手向神社に伺ったコーラルがノロイと神主とで皆さつまいもを焼いて食べている。ノロイに抱きつかれ困ったような、でも嬉しそうな笑顔を浮かべたコーラル。とても幸せそうだ。
 ジョルジュの店に行った際に撮ったであろう料理の写真。彼の料理は健在で見ているだけで味が伝わってきて幸せな気持ちになる。ただ……、コーラルらしく写真に指が映り込んでしまっていていささか残念だ。
 シンディの大きなコンサートの後にふたりで撮った写真。シンディがコーラルにサインを描いたようでそのサインもアルバムの中に収納されている。
 他にも教祖として頭角を現し始めたアダムスがツーショットを強要していたり、キャメロンがコーラルに抱きついたところをすごい剣幕のナナシが剥がしたり……。ミラとの写真はこれまた美味しそうな料理が写っていて、彼女は皆に手作りの温かい料理を振る舞ったようだ。
 そして。
 コーラルとローランドの思い出が詰まった写真が数ページにわたってアルバムの中に収められていた。
 お互いの就職先が決まった際に個人店の居酒屋で二人きりで呑んだ写真。
 初めてデートをした写真。
 2度目のデート。
 そして、3度目・4度目・またそれ以上。
 コーラルがローランドを写真に収め、またローランドがコーラルを写し、また2人でレンズを見つめたもの。
 青空、噴水、パンケーキ、水族館。
 お互いの家。
 一つ一つが確かに二人で過ごした日々だった。
ーー
「監察官!今までありがとう!大好き!!」
 時は遡る。0と1の事件後、無事彼らは『現実世界』に戻った。
 みんなの第一声は監察官として引っ張ってきてくれたコーラルへのお礼の言葉だった。
「僕こそありがとう!みんなが好きだよ!」
 ワアッ!という歓声と共に皆コーラルに抱きつく。
 バーチャルの世界ではなく、初めて『現実世界』にて彼らは実体として対面したのだ。よりお互いに『生』というものを感じる。
 別れの前に有名チェーン店のファミレスで各々の好きなものを食べながら皆で語らった。大人数のためいくつか席が分かれたがそれぞれで楽しんだ。
「今までありがとう。皆んなのおかげでね、心が救われたの」
「ティカちゃん!!ボクもいろんなお話ししたりみんなで歌やダンスをしたことでストレスが軽減していく感じがしたっス!これからの監察官達とのお仕事応援してるっスよ!」
「シンディの歌手活動も応援してるね。絶対にライブへ行くわ!」
 あるグループは思い出話に花を咲かせ、次の約束をする。
 また違うグループはキャメロンの甲高い声から始まった名残惜しさを見せる。
「いやーん こんな美形揃いの子達と離れるの寂しいわぁ〜!誰か一人持って帰っちゃおうかしら!」
「C'est une bonne idée.
……名案だ。それによりキャメロンの心が小鳥のさえずりのようなメロディを奏でるのなら悪くはない……」
「『クレヨンも みんなと ずっと いっしょに いたいなあ』」
「クレヨン、ジョルジュ。
 アンタらは純粋な気持ちで言ってると思うがコイツはだいぶ下心ありきだと思うぞ」
「なによ、ナナシちゃーん!ひっどーい!」
 そしていつものような光景を繰り広げる3人がいる。
「アダムスと鬼門……は、部屋を定期的に掃除すること!そして夜寝る前は歯を磨きなさいね!」
「むぅ……。ミラはいつまでも口うるさいのだ……」
「あはは!でもミラ、そんな顔ばかりしてるとハノイとはいえシワが出来るんじゃないかい?」
 こういう風に、とアダムスが眉間にシワを寄せる真似をするとミラに頭を小突かれる。
 平和な世界、それを彼らは勝ち取ったのだ。
 ……いや、完全なる平等な世界はこれからも追求していかなくてはならない。シューニャと約束した、0と1と人間が共存する世界。それらをコーラル達は作っていくのだ。
「司令官殿、貴方との心の触れ合いが俺を変えたのです……。出会えてよかった」
 解散後も名残惜しく、監察官の一番のパートナーであったローランドとコーラルは街路の隅にて談笑をする。
 ああ、これからはそれぞれが別の道に進むだろう。その別れ際に軍事用は先ほどまで監察官だった者にゆっくりと言葉を紡ぐのであった。 
「うん。僕もだよ、ローランド。
 君もいたからこそバーチャル世界でも頑張って来れたし、夢を考えるきっかけにもなった。
 最高のパートナーだ」
「光栄です」
 それでは、とローランドが敬礼して立ち去ろうとする。瞬間、温かく柔らかいものに包み込まれる感触がした。
「待って!」
「司令官殿!?ど、どうされたんですか!こんな……!」
 コーラルは熱を帯びたような真っ赤な顔をしてローランドを震えた手で抱きしめる。憧れていた人が自分の胸の中にすっぽりと小さく収まる。ふんわりとした可愛らしいサイズだなと思うと同時に頭が混乱し始めた。ショート寸前だ。
 このようなぴたり、とした抱擁をされているのだから少し、少しだけでも期待をしてもいいだろうか?
「ローランド、君を恋愛として好きだ」
 その愛の言葉は思っていた以上に早く紡がれる。体が熱くなっていくのを感じる。
 ああ、思い違いでなくて良かった。
 嬉しいという感情と共に瞬間、そう思う。この気持ちは俺だけのものではなかったのだ。
 ローランドは声を震わせながら、
「俺も、ずっと貴方のことをお慕いしておりました。」
愛の告白をする。
 「好き」という気持ちを口にするのはどうしてこんなにも勇気がいることなのだろう。それはきっと自分の大切な部分をさらけだす行為だからなのだ。
 コツコツと交わる人々の足音と、ガヤガヤと飛び交う人々の話し声。しかし、そこには確かに二人しかいなかった。ノイズは彼らを避ける。
「……いつから好きだったんだい?」
「それは……。
……司令官殿から教えてくださいよ。貴方から言い出したんですから。」
「ふふっ。そうだよね。うん、分かったよ」
 二人は話す。
 「僕はねーー」
 きっかけは、ローランドがどこか危うげに見えたこと。『上の指示に忠実に従い、それを遵守する』その役割に徹した姿はとても真っ直ぐに見えた。しかしそれと同時に『一人の人間』として話してみたかった。
 「俺はーー」
 きっかけは、最初のタワー攻略パーティーに選んでもらえたこと。そして、特別監視タグを自分の首につけてくれたこと。きっと、これらふたつがなかったのなら、ただの『上司とその部下』という関係性で終わっていたことだろう。
 様々な点と点が重なり線となってふたりを繋いだのだ。
「俺たち、もしかしたら早い段階で両思いだったのかもしれませんね……なんて」
「うん、もしかしたらそうだったりして」
「ジブンより小柄である司令官殿の背中がいつのまにかとても大きく頼りに見えたことがあったんです。
 それは『司令官殿』という立場だからというよりかはまるで『想い人』としてジブンを守っていただけたように感じて……って変ですよね?俺……」
「……あながち間違いじゃないかもしれない。
 もちろん、みんな等しく大事だし大好きだよ。誰も欠けてはいけない、絶対に欠けさせない。
 でも心の片隅で『ローランド』って何度も呟いていたんだ……」
 コーラルとローランドは頬を紅潮させ同時に俯いた。しばらく二人きりの世界を作っていた。
 ここからどのように新しい会話に切り出そう。そうローランドが落ち着きなくいると相手から口を開いた。
「僕と付き合ってください」
 コーラルが目をぎゅっと瞑りながらローランドの方に手を差し伸べた。彼の一生懸命な姿に、これは現実なのだろうか?と思うとローランドは頭がくらりとした。
「お、俺の方こそっ!よろしくお願いします!!」
 ぎゅうっ、といつものように勢いよく手を握り返そうとしたが、そういえば自分の握力では彼の手を壊してしまうと思い そっ、と触れるように握った。
____
 甘い関係が結ばれたきっかけの出来事を思い出し、ローランドは心に決めた。携帯電話を取り出す。かける先はひとつだ。
「こちらHANOI保護センター、TOWER of HANOIでございます」
「もしもし!こちら施設長のコーラル・ブラウンの知り合いなのだが!!そちらへ伺いたい!」
「ーー申し訳ありませんが、ただ今こちら諸事情により休業しております。ご用の方はピーッという音声の後にご用件をーー」
「クソッッ!!」
 携帯を投げつけて舞いそうな勢いで力強く電話を切る。
 コーラル死後のHANOI保護センターが機能していないのは当然だ。
 淡々と告げる無機質な機械音声はローランドの怒りに触れた。しかし、感情的になっている場合ではない。
「行こう、アイツの元に」
 同時に、強く決断をする。
 ローランドは上下濡れ羽色のスーツを身に纏い、大地を踏みしめた。
_____

"TOWER of HANOI"
HANOI保護センターはローランドの元から特急電車で2時間ほどかかる。普段ははやる気持ちでコーラルの元へ遊びに向かうのだが、今回ばかりはそのような気持ちになれない。苛立ちを強く感じながら、ただただ窓の外の景色を見ることしかできなかった。
「着いた……!」
 空はすっかりと朱と金色が混じった綺麗な夕焼けであった。
  HANOI保護センター。その名の通り、行き先のなくなったハノイたちを保護する施設は、ハノイたちが余裕を持って快適に過ごすことが出来るように中庭も施設も立派でだだっ広い。重厚で立派な鉄製の高い門は無関係者を拒むかのようにそびえ立っていた。
 しかし、俺は監察官と共にタワー内で過ごした大事な-少なくとも俺はそう思っているーパートナーだ。きっとお前もそうだろう?ローランドはインターホンを押す。
「俺……私はローランドと申します。コーラル・ブラウンさんの関係でこちらに参りました」
「……えっ!?ローランド!?」
 鮮やかな黄緑色の髪、聞き覚えのあるテンポのいい声。モニターに映ったのはクレヨンだった。彼女はパアッと笑顔を咲かす。
「良かった!来てくれたんだね。今ナナシに事情を話して門を開けるね」
 ちょっと待っててね、と言葉を残ししばらくの間モニターは音声が切れ、真っ暗になる。しばらくするとクレヨン、秘書であるナナシから了承を得たようでウィーンという音がした。
 門が開く。
 中庭の随分奥の方に施設が見える。もう少しだ、というところで先ほどやりとりをしたクレヨンがローランドの方に駆けてきた。
「ローランド!」
「クレヨン!」
「こっちこっち!今日はみんな集まってるんだよ!」
「みんな……?」
「うん!それはまたあとで案内する!」
「? あ、ああ……」
 クレヨンが手を差し伸べ、ぎゅっと手を繋ぐ。タッタッと地面を蹴る。ローランドはクレヨンが言ったことに対して少しばかりの疑問を抱きながらそれについて行く。
 保護施設、施設長がかつていた空間に案内された。木製のテーブル席にナナシとメリーティカが待機していた。2人は深い青色をしたソファーに並んで座っており、メリーティカが こっちよ、と手招きをした。ナナシは随分と落ち着かないようで険しい顔で貧乏ゆすりをしている。
「こんにちは、ローランド。会えて良かった……!」
 向かい側にどうぞ、とメリーティカが優しい声を放ったのでローランドはゆっくりと腰をかけた。
「貴方が来てくれるのを待っていたわ。信じていて良かった。
 クレヨン、ローランドを連れてきてくれてありがとうね」
「どういたしまして!」
 はにかむクレヨンとメリーティカ。
 穏やかな2人を前にしながら、ローランドは萎縮する。
「その……すまなかったな。お前らに迷惑をかけてしまって……」
「本当そうだわ!……なんてね、私達すごく心配してたのよ。だって貴方とコーラルは……恋人だったから。心の整理がうまくつかなくてこちらに来れなかったのも分かるわ」
「そう!ローランド、来てくれてありがとう!コーラルもきっと喜んでる!」
 メリーティカとクレヨンは随分と温かく迎えてくれた。反面、ナナシは眉に深い皺を寄せたままだ。そのままローランドの方に視線を移した。
「やっとこっちに来たんですね。俺もアンタをずっと待っていたよ。まずは、おかえり」
「ああ、ただいま」
「ここまでお疲れ様。遠かっただろう?あ、水でも飲みます?」
 テーブルの隅に置いてあったグラスにピッチャーで水を注ぐ。カラン、と氷が音を立てた。
「それで、何故今更?」
「コーラルに会いにきた」
「……なるほど?」
 ナナシは眉間に皺を寄せると、施設長の座っていたテーブルにある骨箱を取り出す。この箱の中に骨壷があり、つまりコーラルの遺骨がそこに納まっているという次第だ。ナナシは遺骨が入ったこの骨箱を大事に両手で抱え、自分達のいるテーブルにそっと優しく置いた。
「ここに施設長……コーラル・ブラウンがいるのですが、""これ""に会いにきたんですね」
「なんだ、その言い方は!!施設長を……俺達の監察官を侮辱するとは許せん!!」
「『許せない』、か。こっちのセリフだ!!」
 ローランドはナナシに胸ぐらを掴まれ、それに抵抗をしようとするが、今はそのような争いをしている場合ではない。そう、分かっていた。それはナナシもだ。取っ組み合いの喧嘩になる前に緑色の彼はうなだれた。
「すまん、すまん、……すまない……。申し訳ありません、司令官殿……」
 頭の中がぐにゃりぐにゃりとし、何もかもが分からなくなってきてしまうような混乱。ああ、これが『コーラル』の前に『司令官殿』であったら良かったのになあ。個人として意識する前に役職でしか彼を見ていれば、こんなにもの深い悲しみを、せず……。
「『司令官殿』じゃない、お前の恋人だ!先ほどみたいに『コーラルに会いに来た』って言うべきなんですよ……」
 ナナシは顔を手で覆い一筋の涙を流した。嗚咽を漏らす。
「あの人はよくアンタの事について話してた。だから、ローランドは葬儀に来るべきだったんだ!!何でなんですか……来なかったのは……」
「ナナシ、落ち着いて。ローランド、困ってる……」
 クレヨンがハンカチを差し出し、ナナシはそれで涙を拭う。元々の緋色の目は更に色に深みを持たせた。小鼻の方まで泣き跡の赤が広がる。
 ローランドはその様子をぼうっと見た後、自分の両手を見つめる。
「……怖かったんだ。コーラルが息絶えたという現実を受け入れるのが。俺は戦争で数え切れないぐらいの死体を見てきたのにな。いや、この手で殺めること自体が自分の誇りとすら思っていた。そうか、これが残された者の苦しみというものなのか……」
 俺はこの手で多くの者を葬ってきたのか、そう思うと何だか自分が異形の何かなのではないだろうか。そんな思いが渦巻く。
「……それでもやっぱり葬儀に来て欲しかったという思いは私もあるわ。あの人の肉体があるうちに……」
「クレヨンも、それはすごく思ってるよ」
「でも弔う時間はあるじゃない。ねえ、みんなでコーラルの話をしようよ。こんな激しいやりとりはきっとあの人は望んでいないわ」
「うんうん!」
「……そうだな。それじゃあ……。クレヨン、案内お願いできるか?」
「うい!
 ローランド!」
「手を引っ張るな……」
「ローランドがここに来る時、わたしが『みんな集まってる』って言ったよね。本当にみんなみんないるんだ!」
「み、皆と言うと……!?」
「ふふ、着くまでの秘密よ」
 ナナシを先頭にメリーティカとクレヨンとローランドが横並びで廊下を歩く。
 ガチャリ。ナナシがドアを開けると、そこは広々とした会議室だった。
 10人ほどは余裕で座れる縦長の席。ここにいる4人と既に着席している6人を合わせるとちょうどその数だ。
「ローランド!!バカ!心配したよ!」
 すらっとした紫髪の女性がパンツスーツ姿で抱きつく。ミラだ。
 あたりを見回すと懐かしい顔ぶれが並んでいた。ただ、一つ違うのはみんな黒スーツで身を纏っているということ。さながら喪服だ
「Bonjour、ローランド。久々に会えてよかった。私の心にまるで一筋の光が射されたようだ……。やはり皆が揃うと……Oui……嬉しいものだな……」
「さあさあ、座るっスよ!ローランドさん!」
「ちょうど一番奥の席が空いているのだ」
 この発言をした3人は普段はより役割に徹した服装をしているため、見慣れないその姿はローランドの目には新鮮に見えた。
 さて、席の並び順である。
 入り口左手前から、シンディ・鬼門・キャメロン・クレヨン・ナナシ。
 入り口右手前から、ミラ・ジョルジュ・アダムス・メリーティカ。
 それぞれが向かい合っているという次第だ。
 そして、入り口右手前から一番奥の席がぽっかりひとつ空いてる。
 ローランドはタイヤ付きの椅子を引く。カラカラと音がなり、その黒いレザーチェアは座り心地がよかった。
 一番奥の誕生日席にはコーラルが笑顔で映った遺影が立てかけられている。これはかなり悪趣味ではないだろうか?そうローランドが難しい顔をすると、快活な声が聞こえた。
「ローランド!恋人の君の隣にコーラルの遺影を置いたよ!これを見ながら思い出を語らおう!」
 メリーティカを挟んだ、ローランドの隣の隣の席がアダムスである。いつものように少し胡散臭そうな、しかし彼にとってはそれが普通であるという笑みを浮かびながらその発言をした。あまりにも突拍子の無いものだから、周囲のハノイたちは若干引き気味だ。
「ちょっと、アダムスちゃん!言い方ってものがあるでしょっ!」
「でもそのままの事実を言っているだけだしなあ」
「もう少し!オブラートに包むのよォ!」
 キャメロンは大きく身振り手振りをしながらアダムスに反撃する。しかしアダムスは余裕を持った表情で「えー?」と笑ったままだ。そんな喧騒の中、鬼門がゆっくりと言葉を紡いだ。
「……アダムスの言い方にはちょっぴり引いてるけど、故人に思いを馳せるのは賛成なのだ。きっとコーラルの魂も救われるのだ」
 しん、とした静寂。
 先ほどとはうってかわった表情をしたアダムスが口を開く。その目線の先にはにこやかに笑ったコーラルがいた。
「うん……。神はいないけど、こういう時ばかりはコーラルの魂を大事にしてくれる者が存在したらいいなあとは思ってるよ」
「まあ、そうねェ……コーラルちゃんはアタシたちのために頑張ってくれていたから……。お茶しながら思い出話をしましょっ!」
 淹れたての紅茶とお菓子の詰め合わせが席に置かれる。シンディが「この紅茶、有名ブランドのものっスね!」と笑みをこぼすと「施設長がここのものを良く飲んでいたから」とメリーティカは表情を緩めた。熱々の紅茶にコールドミルクを注ぎ、角砂糖をたんまりと入れるのが彼のスタイルだったそうだ。もっともコーラルと同じ数の角砂糖を入れる者はいなかったが。
「ね!みんながここに集まったのはこのためだったの!」
 それぞれが思い出を語らう賑やかな場の中、クレヨンは満面の笑みでローランドに伝えた。
「ちょうどタイミングが良かったんだな。……というか、何故俺に集まりのことを伝えてくれなかったんだ」
「アンタの元にとっくに招待の手紙を送りましたが」
 向かい側に座る、眉を顰めたナナシにジロリと睨まれる。
「あー……。そういえばポストの中を全然確認してなかったな……」
「ほらな、メリーティカ」
「しょうがないじゃない。そんな余裕があったらローランドの方からもっと早くに連絡が来るわよ」
「うっ……。面目ない……」
 メリーティカの慈愛のような優しさに罪悪感を募らせる。そういえばここに来てから随分と彼女の気遣いに救われているな、とローランドの心は随分と温かくなったのであった。
 クレヨンはハノイ同士として初めて会った時からニコニコと接してくれるし、ナナシも厳しい言葉を使うことはあっても相手にしっかりと寄り添ってくれるのだ。

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