スタンドバイミーから感じた、タワーオブハノイのエンド

※全エンドネタバレあり※

(個別ルートエンドのネタバレはないです)


映画スタンドバイミーを見て、タワーオブハノイのエンドについて考えていました。

選択肢の積み重ねと変わる環境、そこに焦点を当てていきます。

まずスタンドバイミーの簡単なあらすじを書き、そのあとにタワハノのエンドと比較します。


【スタンドバイミー:1986年に放映されたアメリカ合衆国の映画。原作名は『THE BODY』(死体)】


この映画は、4人の少年が線路づたいに死体探しをするというものです。

死体探しの旅で少年たちは、変わらず馬鹿げたことをしたりやんちゃなことをします。

半面、自分のいる劣悪だったり居心地の悪い環境をお互いに吐露をします。


優秀な兄が死に家で疎外感を感じる主人公

賢いが、アルコール依存症の父親と不良の兄を持ち自分の将来を悲観する少年

父親に虐待されている少年

不良の兄がいる少年

12歳、という中学生にもなっていない少年たち。


幼いころの環境で出会った友。

しかしそのあと、少年たちは違う道を進みます。

中学では主人公とある少年は特進コースへ、残りの二人は職業訓練コースへ。

進路が違うといずれどこかですれ違っていくようになります。関わる友人は変わっていく。


私たちもそうではないでしょうか。12歳の頃の友と今も変わらず付き合っていますか?

人生は選択肢の連続と環境の移り変わりで成り立っています。

少しずれると生きる道も変わるのです。


さて、ここまでスタンドバイミーの話をしましたが、私はこれを見てタワハノのエンドを思い出しました。

タワハノにはエンドが複数あります。

True1、True2、そのほか3つ。

True1では監察官であるコーラルがハノイ達と交流を深め、彼らと友情を育み『敵』と戦うルート

True2ではハノイ達と交流を深めていたが、全ての者の命があると考え苦しまないように無に還すよう奮闘するルート


ここではTrue1での『敵』は仲間となり、阻止するハノイ達を倒します。つまり、True1での仲間は『敵』です。


このTrue1とTrue2の分岐は、スタンドバイミーに似ているのではないかと感じました。

いや、スタンドバイミーだけではない。私たちの人生とも同じだ。

ひとつの考えと選択肢が積み重なると歩む道は違っていきます。

元々はハノイ達と関わることで仕事を全うする監察官コーラルという図です。

大体の人は、True1を最初迎えるのではないでしょうか。

最初から仲間であるハノイと友好を深め特に仲がいい仲間と個別エンドを迎える……。

しかし、ハノイと交流を深めながらも『敵にも命がある』と考え始め葛藤し違うことを実行するルートがあります。それがTrue2。

あくまでこれらふたつは「True」エンドの扱いです。

どちらが正しいエンドなのか、それははっきりと明記されていないように思われます。


考えが変わると進む道が変わります。

進む道が違うと仲間が変わります。


スタンドバイミーでもタワーオブハノイでもこれは共通です。

ただ1つの点では違って、

スタンドバイミーでは幼いころに共に過ごした友が一番最高だった!と一貫して言います。

タワーオブハノイではかつて共に過ごしてきた仲間であるハノイが最高だった!とはTrue2では言い切れないのです。


前者では思い出は永遠、後者では自分の選択こそ大切なものだと そのような違いを感じます。

思い出も自分の現在の進む道も、どちらが正しい間違っているなどは何もないのです。


友と、友と一緒に過ごしてきた思い出を大切にする監察官。

自分で道を選択しかつての友と決別するコーラル。

流れ行く時間

選択による人生の分かれ道(スタンドバイミーでは中学での進路部分)

これらの要素を題材にする作品はとても魅力的ですよね。大好きです。


あと、「escape」エンドも好きだなあ。

選択から逃げたけど、一緒に過ごしたハノイを最後に思い出すシーンいいなあ。

極限のストレス状態の中で大事な人をはっきりではないけどかすかに思い出す……とても好みです。

『友』『仲間』に弱いんだなあ……。


スタンドバイミーとタワーオブハノイ、どちらの作品でも泣いてますからね。

素敵な作品でした!

スタンドバイミー、見たことない人は見てください。名作です。ぜひ!!

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